『絶望から出発しよう』       宮台真司 著    ウェィツ

                      

 新年から、「絶望から出発」というタイトルの本で、すみません。著者の社会学者曰く、私たちは社会に対する「ヌルイ絶望」によって、なにも考えることなく現状に甘んじていると。「現状への失望なくして、僕たちは抜本的なシステム改革への動機づけを手にすることはない」。

 社会の問題点を、著者はひっきりなしに述べる。「相手を特定方向に動機づける」「表現」と単に「言いたいことを言い、叫びたいことを叫んでスッキリする」「表出」の区別がつかない「政治コミュニケーション」。「相手から必要な反応を引き出す駆け引きの場」であるはずの外交を「言うべきことを言う場所」だと捉えている人々。法律に縛られるにもかかわらず、「法律文書リテラシー(リテラシー=能力)」が欠けているために、その法律に縛られる側の私たちが狙いを見抜けず、法案がどんどん通っていく国会。などなど。

 なぜ、そのようになっているのか、原因は多くある。公立高校でエリート教育をやめてしまったがゆえに、富裕層しか東京大学にいけなくなってしまい、人材が枯渇していること。既得権益を守るために新規参入が難しいマスコミは、いつしか「政治家や官僚の言うことを官報よろしく垂れ流すもの」となり、国民の「知る権利」を阻害していること。「政府―銀行―融資先」の三位一体により、お金の流れが市場にまかされていないこと。などなど。

 しかし、私たちは、テレビを見ながら漠然とした不安に襲われつつも、そのようなことは意識せず、なんとなく生きている。それが、おそらく「ヌルイ失望」。失望が「ヌルイ」からこそ、社会に対して特にできることも考えずにいる。だからこそ、著者は「絶望が足りない」「絶望の深さを知れ」と言う。そして、著者レベルで失望したときに、きっと私たちは動かざるを得ない心境になっているんだろう。それが、「絶望から出発しよう」の意味。「ヌルイ失望」さえ、おそらく感じきれていないだろう私。出発点に立つまでの道のりは遠い…。 (真中智子)



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